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「夢がかなった!」家族で初めてのこえび活動

家族と一緒に、こえびをする。

5歳の娘と、2歳の息子、そして僕たち夫婦の4人家族は、今年の3月まで埼玉県に住んでいました。
転勤族だった前職では落ち着いて子育てができないという切実な想いと、香川に行けば「瀬戸内国際芸術祭」が待っているという希望を原動力に、転職を決意。
今回の大島での活動は、願い続けていた一つの目標が叶った瞬間でもありました。


2013年に初めてこえび隊に参加。それからも何度か島を訪れる機会はありましたが、結婚し、子どもが生まれ、住まいを転々とすること、はや9年。しばらく瀬戸芸とは縁遠い生活を送っていました。海のない埼玉県に住んでいた僕たち夫婦は、よく海を見たいと話していました。

芸術祭とのかかわりの中で、いつのまにか瀬戸内の多島美が原風景となり、穏やかな潮の満ち引きと海の青さを、心に宿していったのだと思います。



こえび活動の魅力は、なんといっても人との出会いです。多様な職種、幅広い年代、異なる国籍…一人ひとりの豊かな価値観に触れることで、自分の中の世界が広がる。こうしたことを幼いころから体験していると、いずれかけがえのない財産になる。

子どもたちもいつか一人では解決できない悩みと対峙した時、ここでの出会いや経験が、希望を見つける何かのきっかけになるかもしれない。そんなふうにも思っています。

こえび活動は、僕の子どもの頃の記憶とも出会わせてくれました。2013年、大島「青空水族館」の作者である、田島征三さんとの出会いです。


2013年、青空水族館の制作にて。真ん中は田島征三さん。

僕の母はよく絵本「ちからたろう」の読み聞かせをしてくれました。

ー昔々、子どもが欲しかった貧しい老夫婦は、自分たちの”垢”で赤ん坊の人形を作りました。その願いは奇跡となり、人形に命が宿りました。赤ん坊はやがて力太郎として成長し、鬼を退治して仲間たちとともに幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし という物語。

僕が大人になっていく過程で宿った、ひとつの遺伝子の育ての親との邂逅を果たしたようで、とても奇妙で、奇跡的な出会いでした。


あれから9年。
家族4人で大島に行く前に、僕は娘と二人で大島の制作に入ります。22年の芸術祭に入る直前の作品メンテナンスでしたが、そこでも再び田島征三さんと出会い、今度は「青空水族館」のモチーフである絵本「海賊」にサインを頂きました。目を細めて娘の頭をなでて頂いた姿は、まるで実の孫との関係のよう。


こうしてまた繋がった奇妙なご縁は、娘の記憶の遺伝子に、刻み込まれてゆくのでしょう。
平仮名が読めるようになった娘は帰りの船の中で、一生懸命口に出して、海賊と人魚の物語を紐解いていました。


さて、大島からはじまる家族のこえび活動。
「青空水族館」「Nさんの人生・大島七十年」を開館し、受付の準備をします。
今年の瀬戸芸から導入されたバーコードスキャナに悪戦苦闘しながらも、少しずつ慣れていきました。5歳の娘にスキャナは少し難しいけれど、スタンプならおてのもの。ときどき人魚のこぼした涙のビー玉も拾いに行き、しっかりとこえびの役割を果たすことができました。



でも2歳の息子にはスタンプも難しく、終始ジュースと飴をねだる始末。とはいえ、彼にしかできない愛嬌を振りまくことで、島を訪れるお客様に笑顔のプレゼント。坂を駆け上がり、納骨堂の周囲を気の済むだけ冒険した後は、ベビーカーで眠ってしまいました。



子どもを寝かしつけるためにベビーカーを押して歩いた妻は、「この島で、子どもをベビーカーに乗せて歩くことの意味」を考えたそうです。こんな当たり前の光景が特別なことと感じられてしまうのが、かつて国ぐるみでハンセン病罹患者をこの島に閉じ込めていた、大島の大島たる由縁です。

ハンセン病の痛ましい過去の中でも、僕が特に感情を揺さぶられるエピソードは、子どもにまつわる悲劇です。
かつて大島の中で生まれた命は、親が罹患者であるという理由で例外なく摘み取られていきました。我が子を奪われた親の無念さを想うと、いつも言葉にできない悲しみが去来します。

この日、娘は島のガイドをしていた鈴木茜さんに付いていき、「生まれてくることのできなかった子どもたちの碑」の説明を聞くことができました。娘はその説明を聞いて、「お友達になりたかった」と思ったそうです。
子どもらしい純粋な感性に、胸が詰まる想いです。


娘にサインを書いて頂いたあの日、田島征三さんは僕たちにこんな話をしてくれました。

「僕が初めて大島に訪れたときは、入所者は100人余り。それが今では40人ほど。いずれ入所者はいなくなり、ハンセン病も過去のことになってしまうでしょう。でも僕の作った『森の小径』の木々は背を伸ばし、毎年実をつけて成長を続けている。ななほちゃんたち次の世代の子どもたちが、この庭や記憶を引き継いでくれる」

僕たち家族は、島担当の橘さんのサポートを頂きながら、なんとか最後までこえび活動をすることができました。おむつを換えに行ったり退屈を紛らわしたり、2歳児との活動は手間もかかります。沢山の方に支えられた活動は、僕たち家族にとってとても貴重で、素敵な思い出になりました。ありがとうございました。


高松港に着いた僕たちは、旅客ターミナルビルの1Fでアイスを買い、テラスに戻ってアイスを食べました。
沈む夕日に照らされながら食べるご褒美もまた、こえび活動を続ける、楽しみの一つです。



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