瀬戸内的!本の紹介④
第4回「限界芸術論」鶴見俊輔 著(ちくま学芸文庫)
瀬戸内にはたくさんのアートがあります。赤いカボチャや揺れるカモメ、不思議な建物や古い道具も。近年、現代アートという領域はますます広がり、食べ物や乗り物、動作なども含まれてきているそう。
「ほんなら、何がアートなん?」と、島のおばあちゃんたち。
「なんでしょうね〜。」と、言葉に窮する私。
困る私にヒントをくれたのが、鶴見俊輔さん(1922-2015)の「限界芸術論」(1967)でした。この本は、ここからここまでがアートです。と定義するものではありません。
本文から引用します。
「芸術の根源が人間の歴史よりはるかに前からある遊びに発するものと考えることから、地上に現れた芸術の最初の形は、純粋芸術・大衆芸術を生む力を持つものとしての限界芸術であったと考えられるからである。」
「純粋芸術」「大衆芸術」「限界芸術」と聞き慣れないワードが出てきます。
例として鶴見さんは以下に分類します。これが面白い。
限界芸術:いろはかるた、じゃんけん、どどいつ、なぞなぞ、らくがき、盆踊り、鼻歌、労働歌、あだ名、替え歌、年賀状など
大衆芸術:流行歌、ラジオ、大衆小説、広告、俳句、ポスター、落語、講談、映画など
純粋芸術:バレエ、能、歌舞伎、絵画、彫刻、交響曲、詩、前衛映画など
芸術の中に、じゃんけんがはいるの?!と思った人、多いでしょう。でもよく考えると、手をギュッと握った形が石、広げた形が紙を表していて、まあ表現といえば表現。芸術ってきっと、相対するものを自分の中に取り込むための工夫なんですね。それは誰もができること。鶴見さんは、純粋芸術は専門的芸術家たちにまかせておいて、非専門的芸術家によって作られる限界芸術、それが新聞やラジオを通して大衆に広がり、さらに育っていく大衆芸術について考えます。
歴史の教科書にでてくる後藤新平を祖父にもち、厳格な母に育てられた鶴見さんは小学3年生でグレます。10代前半は遊びまくってうつ病になり入院し、父親に伴われて16歳でアメリカへ。そこで猛勉強して17歳でハーバード大学に入学。飛び級し3年で卒業すると戦争が始まります。どうにか日本に帰ってきたのが20歳。すぐさまジャカルタに向かわされますが、しばらくして病気になり帰国して23歳の時に終戦を迎えます。24歳、雑誌「思想の科学」を創刊。京都そして東京で助教授などをしながら、社会や世間を見つめて、この本を書いていきます。
長明さんに負けず劣らず波乱万丈ながらも、超有名大学に入っちゃうところがすごいのですが、鶴見さんは言います。「私の学問のベースになっているのは、ハーバードの2年半ではなくて、小学校以前から不良少年として通した15年です。この時期が根底にあるんです。わたしはこの上にあるんです。」この時期の体験から限界芸術という考えが生まれてきたのかもしれません。
私はこの本を読んで、芸術を考えるときに大衆芸術や限界芸術にまで丁寧に視野を広げていることに驚きました。私が義務教育で教わったのは美術館にある純粋芸術は素晴らしいというところまで。でも大人になるにつれて(現代アートが好きになるにつれて)、なんだかそれは変だなぁ。と思っていました。だってゴッホも凄いけど、道端のポスターやらくがきも面白いし、ワクワクする心の動きは同じ。数億円の絵画ではなく52銭の新聞小説に芸術の真価を見出す。その鶴見さんのまなざしに大共感。世の中をよく見て、既成概念にとらわれず考えること。その考える視線や角度をいつも探していくこと。そんな姿勢を教えてくれる本です。
ガラスケースや額縁に入って静かに鑑賞しなければいけないアート作品に比べて、島のアートは自由闊達でのびのびしていて楽しいですよね。それって限界芸術から出た芽が、たてよこななめ自由にすくすく育ったものなんじゃないかな。ここからここまでがアートです。という定義ではなく、これもアートじゃない!?と面白がる視線が島のアートにはある気がするのです。だから親密に感じるしワクワクする。鶴見さん的思考を感じます。あぁ。この気持ちをうまく言葉にできたら、島のおばあちゃんたちの質問に答えられるのになぁ!
(正しくはアート、芸術、美術は同義語ではないのですが、ややこしいのでここでは割り切って使っています)
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●「アメノウズメ伝」鶴見 俊輔 著 (平凡社)
神話に出てくるアメノウズメは風穴をあける力がある。ストリッパーの一条さゆり、作家の田辺聖子、作家で尼僧の瀬戸内寂聴の中に現代のアメノウズメを見出していく。鶴見さんの思考がよくわかる一冊です。
TEXT: 甘利彩子